梅花亭の歴史

 手前どもはその昔 岐阜の出で高井と申しまして徳川家康公について御用御金(札差し)として江戸に入府し、菓子匠梅花亭としては時代も下って嘉永三年(一八五〇)大伝馬町で創業しました。

 創業者は生来の新しもの好きの上に無類の甘いもの好きで、これが菓子匠としては幸いし、創作的なお菓子を数々生み出すことが出来ました。

「西洋人が現代のパン釜のようなものを使い焼き菓子を作っている」という長崎帰りの蘭学者宇田川興斎師の話をヒントに釜で焼いた焼き菓子『亜墨利加(アメリカ)饅頭』を作り出しました。 二代目は「銅鑼」の型をしており現在の一般のどら焼きとは少し型を異にした『銅鑼焼(ドラヤキ)』を創出しました。平成十年に再び復元させ、皆様から大変ご好評を頂だいております。

 次いで青えんどう豆を使った品の良い若草色餡の『みかさやま』これは奈良の若草山を想って創ったそうであります。 又、小伝馬町べったら市での『喜利羊肝(キリヨウカン)』『切(キ)り山椒(ザンショウ)』は年に一度の縁起物として永いご愛顧を頂いており、久保田万太郎先生の「思い出の切り山椒の東風の色」の歌などが浮かんできます。

 昭和に入り六代目の中村達三郎は大変に工夫が好きで最中の型を柔らかいふっくらとした厚みのある梅の型に変え、紅、白、焦げの三色の種にそれぞれ違う餡を詰めました。黒餡をビスケットのような洋風の生地で包み、その上にメレンゲをかけて焼きあげた『佛蘭西(フランス)饅頭』等も創り出しそれぞれ店を代表するお菓子となって居ります。昔から店の伝えとして「お客様に快いゆとりを味わって頂くことを第一と心がけ、庶民性の中に上品さと、そして見栄をはらず、意地をはらず、欲をはらず」をこれからも守り続けて参りたいと考えて居ります。

梅花亭

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